●PCJ Interview
・File12 飯田かずな
・File11 河合俊哉
・File10 酒匂オサム
・File09 P.M.Ken

・File08 高木こずえ
・File07 太田拓実
・File06 鈴木心
・File05 青山裕企
・File04 小山泰介
・File03 奥本昭久
・File02 常盤響
・File01 辻佐織

●Company File
・File08 アドビ システムズ
・File07 富士フイルム
・File06 駒村商会
・File05 ジナー
・File04 ハッセルブラッド
・File03 シグマ
・File02 フェーズワン
・File01 ライカ

●Overseas Photographers
File09 Josh Madson
・File08 Michael Kenna
・File07 Todd McLellan
・File06 Mona Kuhn
・File05 Diana Scheunemann
・File04 Albert Watson
・File03 Nick Meek
・File02 Rankin
・File01 Ron van Dongen
実際のセットで撮るより
Adobe Photoshopによる合成の方が、
よりオリジナルな世界観が出せると思います。


飯田かずな





飯田かずな
1973年東京生まれ。東京工芸大学短期大学部 画像技術科卒。短大在学中よりマガジンハウスでアシスタントを開始、その後フリーのフォトグラファーとなる。主にPhotoshopでデジタル加工したビビッドかつキッチュな作風で雑誌、広告、CDジャケットなど、多方面で活動。
著書に、仕事の作品をまとめた「MIRACLE STARS 〜KAZUNA IIDA WORKS〜」(時鐘舎刊)、犬と猫を題材にした「Holiday」(講談社刊)、実祖父母をモデルにした「富子と君作」(ACIプレス刊)などがある。2012年に劇団ひとりとのコラボレーション本「幸福論と。」(主婦の友社刊)を刊行。


http://iidakazuna.com/


取材協力:アドビ システムズ 株式会社
All images: ⓒ 飯田かずな

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Profile & Works

●マガジンハウスで写真の現場を知る

−−まず、フォトグラファーになられた経緯からおうかがいします。プロフィールを拝見すると、学生時代にマガジンハウスでアルバイトされていたのですね。

飯田:そうです。クロワッサン編集部にいました。カメラマンには小学生の頃からなりたいと決めていて、写真が学べる短大に行ったんですけど、そのときは画像技術科というデザインに寄った学部に入ったんです。それこそPhotoshopの走りの頃で、授業でMacを使い始めた世代ですね。そこで写真も多少は勉強したんですけど、もの足りなくて…そうしたらちょうど知人から、クロワッサンの編集部でのカメラアシスタントのアルバイトを紹介されて。マガジンハウスは学生でないとアルバイトができないんですよね。だからちょうど写真の勉強ができていいなと思って、面接を受けました。マガジンハウスのカメアシには、歴代すごく有名な方がたくさんにいるんですよね。重なってはいないのですが、P.M.Kenさんもクロワッサン編集部にいらっしゃったとか。

−−小学校のときからカメラマンになろうと考えた、そもそものきっかけは何ですか。

飯田:小学生の頃お絵かき教室に通っていて、コラージュの授業がすごく好きでした。その教室は、絵のときもあれば七宝焼きとか毎回いろいろな授業があるんです。それで、コラージュの日が何カ月かに1回あって、いろいろな雑誌から自分で好きな写真を切り抜いて、画用紙の上の1枚の世界を作る。それが大好きでした。

それと、旅行のパンフレットやウエディングのパンフレットのお嫁さんの写真などをずっと見ているのが好きだったんです。それで段々自分がそれを撮ってみたいなと思い始めて。多分それがきっかけなんじゃないかなとは思っているんですね。


−−小学生の頃に写真のコラージュをしていくうちに、写真そのものが好きになっていったんですね。でも、ずいぶん早くから将来を決めましたよね。そして、短大のときにマガジンハウスでアルバイトを始められて、そこでプロの現場を見ながらカメラマンとしてのノウハウを吸収していったのですか。

飯田:そうですね。学校の授業で教わったことが何一つ役に立たないくらい、プロの現場はぜんぜん別物であることに、とても驚いたのを覚えています。ただ、師匠たちがとても怖かったので(笑)、怒られないようにしなきゃと必死で、撮影やライティングのことはあまり覚えてないんです(笑)。とにかく言われたことを早くやらなきゃみたいな感じで。アルバイトを辞める直前くらいに、師匠から「お前、何か覚えたことあるのか」って言われてハッとして、急にメモとかはじめて、「遅い!」って言われてました(笑)。

−−師匠はいわゆるインハウスのカメラマンさんですよね。

飯田:はい、クロワッサンの編集部のカメラマンですね。5、6名いました。

−−短大を卒業し、クロワッサンの編集部を辞めて、そのままいきなりフリーになられたんですか。

飯田:はい。ラッキーにも、ちょうどアシスタントを辞める頃に、男の子のヌード100人を撮った作品で個展を行ったら、それがイースト・プレスの編集者の目に留まり、本にしないかと言ってもらえて、写真集「ヌード・ア・ゴー!!ゴー!!」を出版することになったんです。

ただやっぱり本を出しただけでは仕事になかなかつながらず、先輩カメラマンのアシスタントをしたり、街の写真屋さんでアルバイトしたりしていました。

−−在学中、マガジンハウスのアルバイト中にすでに作品をずっと撮られていたんですね。

飯田:はい、個展とかグループ展はよくやってました。

−−飯田さんはどちらかというと作家性の強い作品作りですよね。

飯田:そうですね。今は全然想像つかないって言われるんですけど、その当時はモノクロで舞踏とかを撮ってたんです。

−−そうなんですか、意外です。

飯田:すごいアングラでしたね(笑)。そういう作品でよく展覧会をしたり、また舞踏家の人に会場で踊ってもらったりとかしていました。

−−影響を受けた表現として、舞踏やサブカルチャー的なものが好きだったんですか。

飯田:当時はサブカルやアングラなものがカッコイイと思っていて、若気の至りというか(笑)。確かに舞踏は面白かったんですけど、でも途中から、面白いのは舞踏であって、私の作品が面白いわけではないと思いはじめて。それでちゃんと自分で考えて撮ってみよう、コンセプチュアルに撮ってみようと思ったのが、男の子100人のヌード集だったんです。ポラロイドを使ったんですが、裸で犬の散歩をしていたり、人文字を作ってもらったり。クスッと笑えるヌードなんですけど。

−−それが1996年頃ですか。女性のフォトグラファーがたくさん世に出てきた時代ですよね。HIROMIXさんも同期ですか。

飯田:多分HIROMIXさんは年下だとは思うんですけど、ちょうどガールズフォトがすごく流行った時代でした。よく女の子カメラマンが集められていろいろ企画していましたよね。蜷川実花さん、中野愛子さん、長島有里枝さん、野口里佳さんとか。みんな年齢は近いですね。

−−では、仕事的には、写真集を出されて、先輩カメラマンのアシスタントなどをしながら、クライアントを見つけていったという流れだったんですね。

飯田:はい、そうですね。


●2冊目のデビュー作

−−飯田さんは雑誌の編集部育ちですけれど、現在は広告写真が多いですよね。

飯田:雑誌も広告も同じくらいでしょうか。

−−これまでの主な仕事をざっと振り返っていただけますか。

飯田:最初は先輩カメラマンのアシスタントをして、その先輩の紹介で雑誌の小さなカットなどを撮らせてもらうようになりました。お店の取材で、料理の撮影、お店の外観、内観、スタッフさんの撮影とかですね。1日に何軒も回るような撮影仕事です。

いろいろな雑誌でそういうお仕事をさせてもらっていたんですけど、仕事とは別に、作品作りも行っていて、自分の祖父母をモデルにした写真を撮っていました。それがまた公募展に入選したのをきっかけに本になることになって。そしてその本がきっかけで、それと同じイメージで撮影して欲しいと声をかけていただけるようになって、人物メインで1ページ裁ち落としの仕事をいただいたり…ステップアップしていったという感じですね。

−−そもそも新人で本を出版できたのは、なかなか難しいですよね。

飯田:それは本当にラッキーでしたね。「ヌード・ア・ゴー!!ゴー!!」を出した頃は、アラーキーさん、篠山紀信さんなどの大御所のヌード写真がちょうどすごく流行っていて、女性カメラマンも自分のヌードを撮ったりする時代でした。「BRUTUS」も裸の絶対温度という特集を組んでいた頃です。
なので流行に乗ってというか(笑)、裸を撮るのはとても自然な流れだったのですが、「私」が「今」撮るべき裸は一体何だろう? と考えて、「クスリと笑える男の子のヌード」というところに行き着きました。お陰様でトゥナイトなどのテレビ番組から取材が来まして(笑)。

−−深夜番組(笑)。

飯田:はい。若い女の子が100人もの男の子のヌードを撮っているというのが、やっぱり世間的に面白かったようで。そして何かの取材を見たイースト・プレスの編集者から出版の話をいただいたんですね。

−−なるほど。コンセプトの勝利ですね。

飯田:そして、その後、中古ですけれどやっと自分のMacを買って、学生時代に使っていたのを思い出しながらPhotoshopで合成をした作品を作り始め、祖父母を題材にしたシリーズ「富子と君作」を制作しました。その作品がアートの公募展に入選し、それがきっかけで2000年に写真集として出版できることになりました。どちらかというと、この写真集がその後の仕事につながっていったので、世の中的には「富子と君作」がデビュー作になるかもしれません。



▲フリーランス時代の写真。祖父母の写真「富子と君作」より3点。2000年にACIプレスより写真集刊行。(クリックで拡大)



●舞踏からキラキラな世界観へ

−−プロとしての初期はフィルムですよね。

飯田:アシスタント時代はポジでしたね。

−−ニコン派ですか、キヤノン派ですか。

飯田:ニコンです。学生時代に量販店の店員さんに勧められるがまま買ったのがニコン601で、それで、アシスタントに入っても師匠たちのほとんどがニコン派でした。

−−そういう時代でしたよね。

飯田:それでニコンが使い慣れたので、買い換えてもニコンにしていました。

−−今の飯田さんの写真の特徴は、デジタル処理的な作品にあると思いますが、合成などはフィルムの頃からやっていたんですか。

飯田:はい。学生時代にMacの授業があって、Photoshopが面白くて楽しくて、一発撮りではできない、夢のような作品を作りたいと思ってたんです。ただ、学生時代はまだMacの処理が遅くて、回転かけるだけで1日かかっていました(笑)。次の日の授業でやっとできてたりとか。

−−当時はフィルムをスキャンして、デジタルデータにしてから加工という流れですよね。プロになってからも、初期の頃から合成はされていたんですか。

飯田::最初はポジで撮ってスキャンして、合成して、データで納品していました。あと、出力したものを入稿用の反射原稿に使った記憶もあります。

−−では、ポストプロダクション的な、撮影した写真に後から自分なりの味付けをした作品作りを以前からされていたということですよね。

飯田:そうですね、「富子と君作」を出してから、「こういうテイストで」と依頼が増えたので、それからはPhotoshop上での合成がメインになってきました。

−−お店の取材や人物インタビューは、リアルなものをそのまま切り取って納品ですよね。一方でPhotoshopを使うことによって、ご自分の表現、作風を見つけられた流れなのでしょうか。

飯田:小学校の頃のお絵描き教室の名残りというか、何かを組み合わせて1枚の絵を作ることが根本的にすごく好きだったので、一発撮りにこだわる写真というよりは、合成で作り込んでいく写真が好きということなんでしょうね。

−−舞踏から180度違う世界観にいかれましたけど、もともとは現在のような明るい世界が好きだったということなんですか。

飯田:影響とかを受けているのは1980年代のキラキラしたアイドルや少女漫画などですね。あと「カックラキン大放送」、「オレたちひょうきん族」のような面白いテレビ番組など、楽しいものが大好きでした。エンターテイメント感のあるキラキラしたものに憧れはありますね。

−−そういう世界観を自分でも表現して、見る人に楽しんでいただきたいみたいな。

飯田:はい。



▲フリーランス初期。犬猫をテーマにした「Holiday」より。2004年に講談社より写真集刊行。パラシュートの猫は飯田の飼い猫。(クリックで拡大)




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