●PCJ Interview
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●Company File
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・File04 ハッセルブラッド
・File03 シグマ
・File02 フェーズワン
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●Overseas Photographers
File09 Josh Madson
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・File05 Diana Scheunemann
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・File03 Nick Meek
・File02 Rankin
・File01 Ron van Dongen
「基本的なトーンの調整もLightroomで
全部やりきっちゃうんですよ」


奥本昭久

細やかでデリケートな色調、テイストが持ち味の若い世代に人気の写真家、奥本昭久氏の出発点は、意外にもモノクロの世界だったという。現在、LightroomやPhotoshopなどをシームレスに使いこなし、独自の世界観を構築する奥本氏に、これまでの歩みとともに、写真に対する想いや方法論を聞いた。


奥本昭久

1979年香川県生まれ。1997年バンタンデザイン研究所卒業。スタジオフォボスのスタジオマン、内藤啓介氏のアシスタントを経験後2004年独立。「Zipper」「smart」「CUTiE」「InRed」「ViVi」「音楽と人」(以上雑誌)の他、「ビビアン・スー」写真集、BLANKY JET CITYや東方神起、Mr.ChildrenのCDやDVDのパッケージ写真も手掛ける。
取材協力:アドビ システムズ 株式会社

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▲「作品」1997年頃(クリックで拡大)

▲「作品」2000年頃(クリックで拡大)

▲学生時代の「作品」1996年頃(クリックで拡大)



●アントン・コービンの写真と出会って

−−まず、カメラマンになられた経緯をお話しください。奥本さんは香川県生まれで、バンタンデザイン研究所の東京校出身ですね。

奥本:はい。そもそも絵を描いたりとかデザインとか、そっちのほうが性に合っていて、地元では県立の高松工芸高等学校に通っていたんです。普通科の授業は興味がなかったですね(笑)。

中学校のときに、ちょうど「写ルンです(フイルム付き使い捨てカメラ)」が発売されて、それで一眼レフやコンパクトカメラに比べて、写真がすごく身近になりました。運動会や遠足があれば「写ルンです」を持っていくような子だったんですよ。

−−なるほど。

奥本:その頃から、各社の一眼レフカメラが低価格・フルオート化してきて、オートフォーカス、露光もオート、露出もオートになってきた。シャッターを押せばきれいに写る時代ですね。

−−一眼レフカメラが身近になってきた頃ですね。

奥本:当時、レンズセットで10万円ぐらいの一眼レフカメラが登場してきて、高校の入学祝いにそれを買ってもらいました。それで写真をどんどん撮るようになりました。

ただ、その時点で写真の道に進むとは決めていなくて、当時アクセサリーが作りたかったので高校は金属工芸科に入学しました。ところがアクセサリーは女子だけで、男子は鍋などの金属加工を学ぶことを入学してから知りました(笑)。そこで写真部に入りました。

−−デザインにも興味があったんですよね。

奥本:僕も絵が好きで描いていたけど、美術科やデザイン科のクラスの人を見ていると、レベルが段違いなんです。僕は単に勉強したくないというところからスタートして、絵やデザインだったら手を動かしてりゃできるだろうぐらいだったんですけど、その子たちはもう「好きだ!」と言って入学してきているので、これは自分は舐めてたなと思って。

それで、やっぱりそれも舐めているんですけど、写真はオートが進んでくれたおかげで押せば写るというのがあって、これだったら僕でも何とかなるんじゃないのかと、そのまんま写真に向かいました(笑)。

−−当時はどんな被写体を撮っていたのですか。

奥本:一般的な風景、近所、友達とかをモノクロで撮っていました。特別なものは一切撮ってないですし、はっきり言ってとても「カメラマンを目指してます」という人の撮る写真ではないんですよ、今振り返って。ヘタクソの見本のような写真を撮っていたんですよ(笑)。

−−モノクロにこだわりがあったのですか。

奥本:高校の写真部だったので、カラーは先生にやらせてもらえなかったんです。機械はありましたけど。

−−では紙焼きも含めて基礎的なことを写真部で覚えて。

奥本:そうです。だからモノクロ。フィルムを現像して、プリントも全部自分でやるってすごく楽しいじゃないですか。それにずっとはまっていきました。

僕の生活圏には派手な風景が一切ないんですよ。瀬戸内海のシーンとした海と、島と、空と、みたいな。その何でもないものに向かうというテーマはあったと思うんですけど。それでもたまに「これいいな」というのが撮れるんですね。その頃の写真には、何でもないけど今でもいいなって思える写真があるんです。

−−当時、好きな写真家はいらっしゃいましたか。

奥本:そもそも田舎の書店なので写真集が手に入らないんですよ。唯一と言っていいぐらい売っていたのは荒木経惟さんの本と、あとは石川賢治さんの「月光浴」という写真集は覚えています。

当時は東京にも興味がなく、東京も近い海外くらいの気分で考えていたので、外からの情報というよりも、自分が今対峙しているもので精一杯でしたね。まだインターネットもなかったですし(笑)。

高校3年生の頃、アントン・コービンが撮ったJOY DIVISIONというバンドの中心メンバー、イアン・カーティスのポスターを見て、そのときはアントン・コービンを知らなかったんですけど、この写真がメチャクチャ好きになった。

−−アントン・コービンは当時イギリスのミュージシャンを中心に撮っていましたね。

奥本:そうですね。U2とかデヴィッド・ボウイとかピーター・ガブリエルとか、いろいろなミュージシャンを撮ってますよね。僕も兄の影響もあって、New Orderとか、Depeche Modeとか、当時のブリティッシュ系のちょっとエレクトロみたいなのを聴いていました。

−−アントン・コービンに出会ったのは1つの契機ですか。

奥本:そうですね、荒木さんの写真はすごく衝撃的だったんですけど、参考にするものであっても目指すところとはまた少し違っていた。アントン・コービンの写真はもっと、自分が求めてる空気感を見つけたみたいな感じだったんです。

−−では上京してバンタンに入学したのは、カメラマンを目指してですか。

奥本:はい、舐めきった発想なんですけどまさにそれでした。学べばなれるだろうと。すごくヘタな写真しか撮れないのに、すぐデビューできるだろうぐらいの気分で。自分でもすごいなあと思いますけど(笑)。


−−根拠なき自信は大事ですよね(笑)。

奥本:まあそれぐらい思ってないとやってられなかったというのもあります。実際東京に出てくるのも急に思い立ってですし、親も何の準備もない。「学費だけは何とかしてあげるから、生活費と引っ越しするお金とかは全部自分で準備して行ってください」みたいな。そういう状況で上京したので、これで何にもなりませんでしたっていうわけにもいかないのもあって。

●モノクロを撮り続けたバンタン時代

−−上京は1995年ですか。東京に出て来ていかがでした?

奥本:僕は仕方なく東京に来たパターンというか、東京に行かないとカメラマンにはなれないじゃないですか、いまだに。そういう必然性から東京に来た人間なので、それに比べると、「あれもこれもあるから絶対東京に来たい」と言って上京してきた人たちとの思考のギャップはすごいものがありますよね。「へえ〜、おしゃれだねえ」みたいな(笑)。

−−おしゃれだね(笑)。

奥本:「そんなこと考えて生きてんだ」みたいな。そういうのはありましたね。あと、僕がバンタンに入ったのは先輩がいないというのもありました。気を使わなくていいやって(笑)。1期生で入ったんですけど10人しかいなくて、すぐに2人ぐらい来なくなって、2年間で最終的にちゃんと卒業したのは6人でしたね。

同い年のHIROMIXさんが、上京した年に写真新世紀で賞を取って、ちょうど新しい写真ブームがダーンときた頃でしたね。

−−バンタンに通いながら個人的に写真は撮っていたのですか。

奥本:そうですね。やっと写真の撮り方が分かってきたぐらいでしたので、生活費のほとんどは写真に注ぎ込んでいました。バンタンでポジだのカラーだのという課題はあっても、それ以外で自分で撮る写真は、卒業する直前までモノクロだったんですよ。

−−意外ですね。今の作品はすごくカラフルだし、カラーのディテールにこだわりますよね。

奥本:僕はカラーが撮れないと思っていたんです。授業でカラーを撮ってもトーンがないというか、色のない写真しか撮れなかったんです、どうにも。先生にも指摘されて、「カラーの写真で何でこんなに色がないの?」と言われて(笑)。「ああ、じゃあ撮れないんだ」と思ってぎりぎりまで撮らなかったんです。

●スタジオマンでさまざまな出会いが

−−バンタンを卒業されてスタジオマンになって、内藤啓介さんのアシスタントになるまでの流れを振り返ってもらえますか。

奥本:卒業する直前にホンマタカシさんが特別講師でバンタンに来られて、いろいろお話を聞かせていただりしてたんです。それがきっかけでカラーをやっぱり撮るようになりました。すごく簡単に「撮ればいいじゃん」と言われて。

それで、そう言われてカラーを撮りはじめたんですけど、そのときにはさすがに「僕カメラマンになります」と言ってポーンとなれるわけはないことには気づいていたので、せっかく知り合えたホンマさんに「アシスタントに…」というお話をしたんです。でも「無理だ」と。

−−(笑)。

奥本:そこでどうすればいいんですかねえと相談したら、「スタジオマンになればいいじゃん」と言われて、それもよく考えてなくて、どこがいいですかと聞いたら、「スタジオフォボスがいいんじゃない」、「じゃあそうします」と。

−−なるほど(笑)。

奥本:ホンマさんのその一声でフォボスに電話をしました。僕はだいたい運がいいだけでやってきちゃったんですけど、バンタンの1期生で今までフォボスもバンタンの人を採ったことがないから、「せっかくだからどうぞ」みたいな感じで採用してもらえることになりました。

そういう流れでフォボスで3年お世話になりました。それで、デザイン事務所のコンテムポラリー・プロダクションの信藤三雄さんがよくフォボスを使われていて、僕も2年目ぐらいに末端のアシスタントに入るタイミングがありました。そこで信藤さんが開催したイベントの写真を撮ったんですね。「暇だったら撮っといてよ」みたいに言っていただいて。

−−イベントの風景などですか。

奥本:ライブや会場風景ですね。それを「焼いたので見てください」と持っていって、ついでに「僕こういう写真も撮ってます」と個人作品も見ていただいたら、信藤さんがその写真をすごく気に入ってくださって「ちょっと仕事してみない?」とおっしゃってくれたんです。スタジオで働きながら、信藤さんからいただくCDジャケットの撮影を始めることができました。

−−プロとしてのキャリアのスタートですね。

奥本:とはいえ信藤さんとしか仕事をしていないし、ベースが一切ない状態でやっていくのはやっぱり不安だなあと感じていました。ちょうどその頃、フォボスのOBでもある内藤さんの担当になることになりました。

−−それは「ちんかめ」の前ぐらいですか。

奥本:白バックだけで撮る、最初の「ちんかめ」のシリーズぐらいですね。この何にもない空間と人だけで表現していくというか、それにすごく影響を受けました。その流れでフォボスを辞め内藤さんに付くことになりました。

−−それは何年頃ですか。

奥本:1997年にバンタンを卒業して、3年フォボスにいたので2000年頃です。

−−スタジオマンを3年なさっていて、やはりいろいろなカメラマンさんのライティングを作りますよね。それによってかなり自力は付きましたか。

奥本:めちゃくちゃ勉強になりましたね。いろいろ人によって違いますからね。そのときは景気もよかったので(笑)。フィルムでは僕は一番最後の世代かなと思うんですけど、スタジオ全盛期で、ライトも多ければ多いほどいいみたいな時代でした。僕がよく入らせていただいたのは、石田東さん、富永よしえさん、横浪修さん、そういう今でも活躍されている方々です。

−−ファッションと物撮りはどちらが多かったのですか。

奥本:やっぱり人物ですね、広告からファッション。当時のフォボスはファッションが一番多かったです。物撮りもいろいろな大御所の方に付きました。




▲シーナ&ロケッツ「爆音ミックス~19LIVES~」ジャケット(フィルム撮影)2001年(クリックで拡大)

▲スケボーキング「SUPER BEST」ジャケット(フィルム撮影)2000年(クリックで拡大)

▲スイートショップ「"Home Made" Sweet Shop 1st Album」ジャケット(フィルム撮影)1999年(クリックで拡大)



●プロとしてのキャリアとデジタルカメラ

−−2000年というとまだデジタルカメラではなかったですね。

奥本:その頃にパソコンを買ったんですよ。「これからはデジタルでしょ」というのは言われていて、当時は、G3のブラウン管モニタのタイプを買って、PhotoshopもElementsから使い始めました(笑)。

−−最初のデジタルカメラはいつ導入されました?

奥本:フォボスを辞めてから、しばらくしたところでやっとコンシューマー向けのデジタル一眼レフが発売になるんですよ。初めて買ったのが2002年に出たEOS D60です。その頃にMacもG3からG4に買い換えました。

−−EOSだったのですね。

奥本:僕はそれまでもずっとキヤノンで、もうキヤノンが好きすぎて(笑)。当時あったのはEOS 1Dとニコンの1DXで、その頃はまだ1DXのほうがよかったんですよ、トータルで。なので、仕事では最初はレンタルして1DXを使っていたんですけど、ニコンのピントの感じとかがあまり自分に合わないなあと思いながらやっていて、キヤノンはD30を出した頃で、使ってみましたが全然ダメで。

−−ダメですか(笑)。

奥本:その次にD60が出てやっと実用になったんです。CCDがCMOSに変わったんですよね。

画素数は600万画素でしたけれど、D60のCMOSはすごくきれいで、実はつい先日買い直したんです。あのサイズなのに、トーンがメチャクチャきれいなんですよ。

−−その後はクライアントによって、フィルムとデジタルの両方を使い分けていたのですか。

奥本:はい、でもまだフィルムが多かったですね。

−−内藤さんも当時はフィルムですか。

奥本:えっと、内藤さん、今でもフィルムです(笑)。

−−今でもですか(笑)。

奥本:そうなんですよ。一応内容によってはデジタルも撮られているみたいですけど。最近お会いしていないので分からないですけど、ちょっと前までは。それこそ去年か一昨年ぐらいに現場にお邪魔する機会があったんですけど、パソコンもセットされてカメラもつながって、それで撮ってみて「うんうん」と言って、それでRZに替えるんです(笑)。完璧にポラ代わり。「え、これでよくないですか?」みたいな。「いや、こっちなんだよな」とか言いながら撮られていて。

−−内藤さんのアシスタントを経て、ご自分の作風は変わりましたか。

奥本:やっぱり、変わ…らないですかね。ただ、それまでスナップみたいな要素でしか写真を撮っていないというのが自分のテイストとして強かったので、スタジオで、何もない空間で人と向き合うというシンプルな状況になったときに、どういうふうに向き合うのか。そういう意味においてはすごく影響を受けました。それは自分には持っていなかったものなので。

−−奥本さんの写真は、色に対するこだわりといいますか、すごく神経がいき届いていますよね。絶妙な色のバランスを感じます。それは撮っている段階、ライティングでここまで詰めているのですか。

奥本:そうですね。

−−後処理はあまりしていないのですか。

奥本:現場でなんとなく見つつ、肌をちょっと直してもらったりとかはしています。色味に関してはこれぐらいパーンときてもいいよねというところで、露出の取り方も変わってくるじゃないですか。もうちょっとオーバーに出して色だけ残していこうとか。アンダーにしてとか、濃いところを残して後で白を飛ばそうとか、そういう判断は現場でやっていきます。

−−広告や雑誌のカットを拝見すると、清潔感があって、エロティックなんだけどそんなにいやらしくないですね。

奥本:そうですね、それはなんか出ないんです。

−−エロが(笑)。

奥本:そうなんですよ。出したくてもなんかおかしくなっちゃって。水着を撮っても。これは水着なので別にエロなんて必要ないですけど、普通に撮れないなと思って。

−−撮るときはモデルさんと対話しますか。

奥本:一切しないですね。

−−そうですか。ポーズ付けはやりますか。

奥本:ほとんどしないんですよ。

−−そういう意味では被写体と距離感がありますよね。

奥本:けっこう距離感があって(笑)。内容によって、相手が本当に素人さんとかのときは言ってあげたほうがいいときもあるんですけど、本当にプロのモデルは自分を持っていますからね。

それは内藤さんがそういう撮り方なんですよ。内藤さんも、現場では一切コミュニケーションがないと言っていいぐらいなくて。

−−意外ですね。

奥本:「…座って」と言って、座っているのに対して「あ、ちょっとだけ足をこっちやって」って、パシャ、パシャていう感じだったんですよ。僕もそれがいいなと思って。

−−あまり要求はしない。

奥本:しない。そこがすごくライブなのかなという、その人から出てくるものを撮っているのかな。

−−奥本さんの作風は、可愛いというかキュートというか。そういう仕事のクライアントが多いからですか。

奥本:それはありますね。

−−でも、自分が撮りたい世界観でもあるのですよね。

奥本:そうですね、可愛いものがもともと好きだったので。なんかナゾなんですよ。自分のことがよく分からないところでもあるんですけど(笑)。

−−アントン・コービンもあればこういう世界観もある(笑)。

奥本:そうなんですよ。アントン・コービンみたいにめちゃくちゃ暗いものも大好きで、わりと陰鬱なオタクな子供でもあったんですけど、すごくポップなキャラクターとかミッフィーとか大好きだし。

僕らの年代ってアニメで育っているというのもあると思うんですけど、誕生日のプレゼントなんか「超合金とぬいぐるみどっちだろうな」ってすごく葛藤して。両方欲しい子だったんですよ。それで触って、「ぬいぐるみのほうが柔らかい」ってぬいぐるみを買っちゃう子だった。ガンダムは今回は我慢だな、みたいな(笑)。


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